命日・・・・21年目③

医療事務が修了する頃に、届いたレセプト

素人の私には、詳しく分からないんやけど

心臓マッサージも諦めずに何分もやってくれていたのが

わかりました。

最善は尽くしてくれたけど、奇跡は起きなかったんや。と

何となく納得したのを覚えています。

さっきまで元気やったのに、何で・・・と 

その時のことは、断片的にしか覚えてないんやけど

1つだけ今でも忘れられないのが、

担当の看護師さんが、悲しんでる私に、

『この病院に運ばれてきて、自分の足で歩いて元気に帰れる人は

少ないんです。』

『亡くなったのが奥さんへの最後の思いやりだと思える日が来ると

思います。』と言ってくれたんです。

なぜかその言葉だけはしっかり覚えていて、当時は、

どんな姿でも生きていてくれたら良かったのに、と 思ってたんやけどね。

今ならあの時の看護師さんの言葉がよく分かります。

意思疎通ができない状態で命が助かっていたとしても

残された家族は大変やったな。と思います。

当時小学校1年生の娘は、その看護婦さんを見て

自分も同じように家族に寄り添える看護師になりたい。と

看護師になり、救命で働いていました。

娘が働き始めて3年ほど経った頃に

レセプトを見せると、

やれることは、全部やってくれてるし

ここまで、やってくれたなら

仕方ないよ。と言われ、

寿命やったんかな。と納得したのでした。

ひとりでビールを飲みながら

そんなことを思い出した命日でした。

たまには、こんな日もいいかな。